先日のことだった。
新生魔王軍を旗揚げし、厳しい状況を乗り越えて、ようやく軌道に乗り始めた頃、メイミーの発案で、ヒロの誕生日を祝うパーティーが開かれた。本人に内密に事が進められ、思い切り驚かせて、皆で楽しんだ。久方ぶりに、大声で笑った日だった。
誕生日を祝うと言うのは、主に人間の間で流行っている行いだ。魔族はその寿命の長さから己が生まれた日など覚えているものは少ない。歳若い者くらいだ。
歳若い方に入るメイミーとヒロはもちろん己の誕生日を覚えている。そして、他の者の誕生日はいつなのかとヒロが問い掛けた。ザキフォンは冬生まれで、チクは春生まれだと言う。
残るサトーは、と言えば、いつだったか分からない、というある意味彼らしい言葉が返ってきて、ヒロはあきれ返って、痴呆になるにはまだ早いぞとからかった。
それでその話は終わった、はずだった。
「よう、姫さん、散歩か?」
頭上から突然声を掛けられたが、ヒロは特に驚きをみせるでもなく顔を上げた。渡り廊下を歩いている最中で、声は雪の積もる屋根の上からだった。前かがみになっているので長い尾のような黒髪が垂れ下がっている。
「そういうお前は見回りか? サトー」
サトーはその大柄な体躯に似合わずひらりと飛び降りて、大した音もさせずに着地する。
「ああ、とりあえず怪しいのは見かけなかったぜ。ま、夜だから半端じゃなく冷え込んでるからな。暗くてもこう冷え込んでちゃ辛いのがあるよなぁ」
防寒具に身を包んではいるものの、着膨れてはいない。雪を踏みしめて、柵を乗り越えて渡り廊下に入り込んだ。
「下手をすれば凍死することもあるからな。潜んでいる奴らはご苦労なことだ」
まったくそう思ってないように笑う。
「俺も寒いのは苦手だからなぁ。何か温かけぇの飲むか。姫さんもいるか?」
「お前の場合は、寒がりと言うより単に歳なんじゃないか?」
先を歩き出したサトーの後をついて行きながら、その背にからかいの言葉を投げ掛ける。
「あ、ひっでぇ。ザキフォンよりは年下だぜ、俺」
「自分の生まれた日すら覚えていないのが何を言っている。それともなんだ、思い出したか?」
「いんや」
前方を向いたまま、サトーは続けた。
「誕生日は元から知らねぇし、郷にいた時も必要なかったからなぁ。生まれた年は知ってるけどよ」
「──────何?」
「もっともこいつも、爺さんが教えてくれたのだからちと怪しいけどな。さすがに自分が生まれた日は覚えてねぇだろ」
まるで普段と変わらず、世間話でもするようにサトーは言う。しかしその内容はどちらかと言えば聞き捨てならないものだった。
「お前、生まれた日を忘れたのではなく、本当に知らないのか?」
「あ? 前に言ったじゃねぇか。分からないってよ」
確かに以前、そう言っていた。けれどあの時のサトーはいつもと違う態度も雰囲気もしていなかった。言った台詞にも気になる感情は込められていなかった。首を捻って考えて、あっさりと言っただけだった。
「……何でだ? 何故知らないんだ?」
「何でだっつってもなぁ。別に話すようなことじゃねぇけど……俺、拾われっ子なんだよ」
「──────」
「赤ん坊の頃に入道の爺さんに拾われたんだ。だから親は知らねぇの」
つげられた事実にヒロは足を止めていた。呆気にとられたようにサトーを見上げていたが、ばつが悪そうに口元に手を当ててうつむいた。
「……悪いことを聞いたな」
「別にいいさ。気にする歳でもねぇし」
逆にそんなに神妙になられても、こっちがすまなく思えてしまうから、気にしないでくれと笑う。
しかし、だからといってそうだな、とすぐにきり返れるものでもない。確かに幼い子供でもあるまいし、本人の性格から言って拘る性質ではない。それに、生まれた日を知らない者や、まして親を知らない者は、今、この世界には珍しくもない。
けれども、珍しくなくとも、当たり前になってはいけないことだ。
「ま、あれだ、こんなとこにいつまでも突っ立ってても寒いしよ、ほれ、厨房見えるし、何か作ってやるから行こうぜ」
「……ああ」
紅茶だと寝付けなくなるし、かと言ってホットワインもどうかと思うので、妥当な線でホットミルクをサトーはヒロに作った。そういう本人は明らかに寝酒なのだが。
厨房にある椅子に座ってヒロは温かいそれを飲んだ。少し外の風に当たっていたので、その温みが心地よい。
「誕生日、てのはさ」
不意にサトーの方から切り出してきた。ヒロは視線だけをサトーに向ける。
「俺にとっちゃ、特に必要なかったから、それで良かったんだよ。郷じゃあそういうのはまったくって言っていいほどなかったしな」
「他の奴らもか?」
「ああ、ちゃんと知ってる奴でも、祝うって事はしなかったなぁ。だから、国から出て誕生日祝いだ祭りだパーティだってのを見たときは驚いたけどよ。お偉いさんのなら分かるが、そこいらの子供でもそういうの開くんだもんな」
手の中の酒の入ったコップを揺らしながら、当時を思い出して笑う。
「……私は、小さい頃から父様や母様や姉様が祝ってくれていたんだ。10を越えた位からあまりしなくなったけど、それは私がしなくてもいいと言ったからだし、それでもプレゼントは貰っていたし……」
「はは、仲いいなぁ。やっぱり」
屈託ない笑顔で納得するようにうなずいた。そして一口酒を飲んで、口の中を湿らせる。
「それはそれで別にいいだろ。姫さんちは姫さんちなんだし」
「……まあ、な」
「まァ確かに、誕生日が分かっていたら、何となく嬉しくはあるかね。けど、同時に、きちんと分かっているからこそ、歳を取るってのが自覚できるよな」
「………………」
「人によっちゃ、誕生日を迎えるたびに、死に近づいているようで嫌だってのもいるし。その日を知っていようがいまいが、結局は本人次第だよな」
「……そうだな」
そう言われると、どうにも誕生日を知って、なおかつ祝ってもらっている自分に奇妙な居心地の悪さを覚えてしまう。
「俺としちゃ、自分の誕生日は別に知らなくても構わねぇけど、親しい奴等の誕生日は知っていたいとは思うな」
「うん?」
サトーは相変わらず笑っている。何事でもないようにからからと。
「クサイ台詞で言うなら、アレだ、生まれてきてくれて有難うってやつか」
どうやら酒が入っているせいもあるのか、至極楽しそうである。いつもよく回る口が少しばかり饒舌になっているようだ。とは言え、酔っているわけではない。
「その日にこいつが生まれてきたんだなーとか、この日にこいつが生まれたから会えたんだよなーとか、普段はそういうの考えもしねぇけど、誕生日ってぇと、チラッとそういうの思い出すんだよ。いつもなら忘れていることを、思い出させてくれる日でもあるよな」
「………………」
「だから、俺としちゃ、誕生日は覚えてる方がいいと思うぜ。俺の場合は、まぁしょうがねぇけど、今更だしよ。たまにはその日に立ち止まって昔を振り返るってのもいいと思うしな」
「……そうだな」
今まで誕生日といえば、生まれた日だからとただ祝う、という気持ちが強かった。言われてみればそれは、自分の原点にかえる日でもあるかもしれない。
「もっとも、無条件にめでたい日だからってあれこれねだるのはお断りだがな。祝いの気持ちってのは、物じゃねぇだろ」
「………………何だ、昔何かあったのか?」
郷ではそういう風習はなかったというから、大陸に出て来てからだろうが、ヒロは真面目な表情で言うサトーにからかいの表情を向ける。
「別に何もねぇよ。そう思っただけだ。さ、もう夜も遅いし寝といた方がいいぜ。寝る子は育つってな」
飲み終わっていたヒロのカップを取り上げる。
「人を子ども扱いするな。お前こそ、生まれた日を知らないというから、昔のことを振り返りもせずに前ばかり見て、精神的には子供なんじゃないのか?」
そこまで言って、はた、とヒロは何かを思いついた。そしてにやりと笑う。
「そうだ、そんなお前のためにせっかくだから私が誕生日を作ってやろうか?」
「あ?」
洗ったカップを伏せてサトーは眉を跳ね上げた。
「それでお前も自分を振り返って成長するわけだ。うん、いつがいいかな。3月10日か?」
「……………………いや、有難いけどもちっと別な日がいいな」
「なんだ、わがままな奴だな。しょうがない、明日までに考えてやるから楽しみにしていろ」
「はいはい、楽しみで眠れねぇぜ」
妙な自信を持って言われた言葉に苦笑めいたものを混ぜながら答える。
「何だその言い方は。誕生日がきたらちゃんと祝ってやるぞ。ザキフォンやチクにも教えておかないとな」
まるで企みごとをするかのような表情だが、楽しげではあるので、サトーはそれ以上何も言わなかった。
とりあえず、とんでもないことをしでかさないように願うだけだった。