のんびり気ままにGOC6攻略中。
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間が空いてしまいましたが、トラテペス後半戦でございます。
ジュンがシャンティにここから一緒に逃げよう!と言い出しました。少年のひたすらな真っ直ぐさ。ここにいたら、シャンティはずっと悲しい顔しかしない、笑ってほしいという想いからの行動だけれど、シャンティがここからいなくなると、ここにいる人たちが傷ついた時、癒してくれる者がおらず、皆、死んでしまう。だからいけない、とシャンティは断ります。 シャンティたちは不老不死であるが故に、子孫を残せない。それに不老不死とて、殺されれば死んでしまう。誰かが怪我をした時、癒せることが出来なければ、皆死んでしまい、『楽園』から人はいなくなる。 そしてそのあとでユヒトはシャンティに問いかける。生にしがみつく自分たちは醜いか、と。 死は苦しみ。けれど死は全てからの解放。けれどそれは永遠に続くこと。 その、死からの解放。けれどそれも、『永遠に続く』こと。 永遠に生きる、ということに耐え切れない人間もいる。 では、生にしがみつく自分と、死を受け入れる人間と、どちらが正しいのか、と。 あっさり言ってしまえば、それは人の価値観で変わるものだから、一概に『こっちが正しい』とは言えないと思います。例え生き続けることを選んだとしても、それが醜いことかどうかは、その人の生き様で、見る人の印象は変わるし、他人の目より、自分自身が醜いと思っていればそれまでかとも思う。 私は死ぬことより、年老いて、何もできなくなってしまうんじゃないか、という方が怖いです。死ぬんなら最後まで自分のことは自分でやれて、ぽっくりいくのがいいなぁ。 そして、そんなユヒトに、シャンティは『兄様は間違っていない』という言葉を返す。それにユヒトは、お前のその言葉がききたかったのかもしれない、と言います。 穿った見方をすると、シャンティがおそらくそう答えるであろうことを分かっていて、安心するがため、自分で自分のしてきたことを再確認しようとするために、シャンティに『そう言わせるようにしむけた』という印象を持ってしまいました。 何と言うか、言ってほしい、言ってくれ、という懇願にも似たような。 ジュンは少年の真っ直ぐさゆえの鋭いツッコミを入れるというか何と言うか。死は生からの解放かもしれないけど、死んだことないから分からない、死んでも苦しいだけかもしれない。それよりもシャンティと離れるのはいやだ!とはっきり言い放つ。 死んだら冥界に行くわけですが、どうなんだべな。普通の人は浄化されて新しく生まれ変わるわけですけど。シャンティたちはもしかしたら『冥界の罪人』に引っ掛かりそうな気がしてならない……。 最後は前向きな終わり方です。 ユヒトが、立ち絵でも微笑を湛えてますが、ラストの一枚絵の笑顔は晴れやかです。印象がまるで違う。まるで何か吹っ切ったようにも見えます。が、いったいどこで。29ヶ国イベントのシャンティの言葉か? 死ねなくて、生き続けるのなら、時間がたっぷりとあるんだから、本当の『楽園』を探そうと。『できるか』じゃなく、『する』。その前向きさはいいなと思うんですが……結局共和国に政権を返すってどういうことじゃい。そんなことしたら、ずっと追われ続けませんかと思うんですが…。カリストさんは不老不死はもの凄くどうでもよさげですが、マガチはしつこそうよ。 で、今回のイラスト。 プレイ中、突然アースがお亡くなりになりました。 神様なのに!聖神なのに! いや、神様でも死ぬでしょうけど、でもプレイから20年にも満たずに亡くなるってどういうことだと。 でも今回のジェネシスは、魔族でも容赦なく亡くなるからなー。あきらかに元気そうなおっさんや兄さんお嬢ちゃんでも。逆にお年をめした方がお亡くなりになったことがほとんどないんですけど。 この分だと『死なない』はずのユヒトたちもお亡くなりになりそうな予感。 手前の子はリリです。ご先祖様がアースと繋がりあるので。 PR |
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