「まったく、いい歳なんだから無理するなよ、ドファン」
後に7年戦争と呼ばれる戦争が終結してからしばらく。
世界は未だ混乱の残り火があり、どこもかしこも領地を安定させることにおおわらわだったが、少なくとも戦争があった頃よりは人々の顔に笑顔は戻っていた。
そんな中、皇女ロゼの下でその手腕を振るっていたバイアードの元に、ネウガードで太守を務める妻のエティエルから火急の知らせが入った。
曰く、ドファンが倒れた。
「なにを言うか。確かにお前たちから比べたら随分と歳をとったかもしれないが、まだまだ現役だ」
バイアードは自分の仕事を常にない早さで片付けて、ロゼに理由を話して、補佐役のアシュレイから期限付きで休みをもぎ取り首都からネウガードへと戻ってきた。
「それよりもだ、バイアード。お前は何故ここにいる。仕事はどうした」
しかし、戻ってきたバイアードにドファンはあきれ返ったように言い放った。
「何故って、エティエルにお前が倒れたって知らせを受けたからだよ。仕事はちゃんと片付けてきた!そういう言い方はねぇだろうが」
「エティエルがお前に言った事は知っている。だが、だからと言って戻ってくることはないだろう。お前は国の重鎮だ。それが私が倒れたと聞いたくらいで戻ってくる必要はないだろう」
「お爺様、そんなふうに言うのは酷いわ!パパ、すっごく心配してたのよ?あたしだって心配したんだから!」
冷めた視線でドファンに言われ、眉間に皺を寄せたバイアードの横で、娘のリーザが憤然と言い返した。戦争が終わった後も母親の元にすぐには戻らず、しばらくリーザはバイアードと一緒に首都に残っていた。その間に20歳になったが、人間で言う20歳よりも少し幼いのは環境のせいか。
「リーザ、お前に心配してもらってこうして見舞いに来てくれたことは海よりも深く感謝し何ものにも変えがたいほど嬉しいことだよ。だが、お前のお父上はさっきも言ったように国にとって大事な人物だ。そういう者は、例え身内が大変な時でも、簡単に仕事を止め、民を放りだしてはいけないものなのだよ」
「でも!」
「リーザ」
後ろにいたエティエルがそっとリーザの両肩を押さえ、小さいがはっきりとした声で止めた。しかしふくれ面のリーザが見上げたその顔は、意外にも笑っていた。
「だぁーからぁ!仕事はきちんと先を見越してその分も終わらせてきた!休みだってずっとここにいるわけじゃねぇよ!!明日にはあっちに戻るつもりだ!だいたい、俺がガキの頃から病気と言えば恋の病だの、怪我と言えば女がらみだの、まともな理由でふせったことねぇお前が、珍しくそれ以外で熱を出して倒れたって聞いたからだぞ!何処の青天の霹靂だよ!俺じゃなくても誰だって戻ってくるさ!」
「そんな難しいムロマチの諺、よく知っているな」
「茶化すな!!ったく、心配して損したぜ」
吐き捨てるように腰に手を当て、そっぽを向くバイアードにドファンがようやく笑った。
「そうだろう。私は無理もしていないし、心配されるほど弱ってもいないさ。今回はちょっと体調が思わしくなかっただけで」
「それが無理してるって言うんだよ。何回も言うが、お前、もう90近いんだぞ。それが未だ仕事しながら女を口説きまくってるってこと自体がおかしいんだ」
「歳を理由に人を邪魔者扱いしないでくれるかね。いくつになっても恋は潤いを与えてくれるのだよ。だからこそ私はこの歳になってもこんなにも若々しく元気なのではないか」
「自分で言うな」
実際、ドファンは世の90前後の老人とは思えなかった。さすがに見事な金色であった髪は真っ白になっていたが、豊かなままであったし、整った顔に皺は刻まれているものの、それは多彩な表情とあいまって渋みと貫禄を加えているだけだった。老いた印象はぬぐうことはできないが、それでも歳相応には見えなかった。
かつての五勇者の一人であったラーデゥイも90を過ぎた老人ではあったが、そのあたりの若者にも負けず、それどころか蹴散らす勢いの膂力を持っていた。彼の場合は、元からの体力と、大切な家族がその源だったのかもしれない。
「いいかね、人に限らず、生き物は歳をとった時、あまりにも何もやらずのんびりとしていたら、一気に老け込んでしまうんだ。お前は私をそんなふうにしたいのか?」
「そういうわけじゃないが、お前の場合はやり過ぎだって言ってるんだ」
「私にはこれが丁度いいくらいなのさ。まったく、普段はこれでもかと豪快なくせに、父親に似たのかね、妙なところで心配性だ」
「うるせーよ」
悪態をつくように気に入らない、とでも言いたげなバイアードにドファンはしみじみと首を振る。それを後ろから見ていたリーザは少し複雑そうな顔をしていた。
「……お爺様、何か楽しそうなんだけど」
「それはそうよ。ドファン殿はあの方と言い合うのが好きなんですもの」
エティエルは相変わらず笑って二人のやり取りを楽しげに見ている。
「愛情の裏返しって言うの?それかしら」
「あら、リーザ、分かるの?」
「それくらいはね!あたしだって色々経験したのよ、ママ」
「それは頼もしいわね」
胸をはるリーザに、微笑ましさと少しの寂しさを感じながらエティエルは抱き寄せる。
「……ま、そんだけ言えりゃ、確かに心配はいらなさそうだな。だが、今日は絶対ベッドから出るんじゃねぇぞ。女呼ぶのも駄目だ。メイドに声かけるのも駄目だぞ。お前らもドファンの相手は必要最低限はするなよ」
「はい」
ドアの方で控えていた幾人かのメイドたちがくすくすと笑いをこぼしながら返事をした。
「あーいっそ男に世話を任せるか。その方がドファンも大人しくなるだろ」
「待ちたまえ!そんな事をしたら私はもっと具合が悪くなってしまうではないか!」
そう言ってわざとらしくドファンは咳き込んでみせる。熱が出たと言って枕に頭を投げ出し、額に手を当てて弱々しく首を振って見せた。
「そんな演技に今更騙されるかよ。よし、ライナス、しばらく頼んだぜ。俺は母上のところに行ってくる。ここに来た時、挨拶もそこそこだったからな。リーザ、お前もこい。お婆様のところに行くぞ」
「うん!」
傍に控えていた執事に任せ、バイアードはドファンの部屋からリーザと共に出た。
「……やれやれ、やっと静かになったか」
ベッドで伏せっていたドファンは額に当てていた手を下ろすと苦笑して息を吐いた。
「でもドファン殿、バイアード様が来る前より血色が宜しいですよ?」
「何を言っているんだエティエル。私は今、一番調子が悪いんだ。見目麗しい小鳥たちが傍にいないなんて耐えられないよ」
いつの間にやらメイドたちは部屋から出てそれぞれの持ち場へ戻り、傍に控えていたのは、先ほどバイアードに指示されたライナスという執事だけだった。初老の執事は特に表情も変えずそっと佇んでいる。
「それは大変。後でもう一度バイアード様とリーザを呼んできましょう」
「いやいや、君とリーザだけで十分だよ。バイアードは私の顔を見ればまず怒鳴るから喧しくていけない。まったく、幼い頃から私が立派な紳士になるべく指導したというのに、どこを間違ってああなってしまったのか……」
エティエルは笑いを堪えているように眉を下げる。
「ですが立派になられました」
「………………そうだな」
屋敷の中は静かだがそこかしこから感じる人の気配は明るく、居心地がいい。庭は暖かな陽光が降り注ぎ、それを薄いカーテンが柔らかく部屋の中へ招いていた。もうすぐ薔薇が咲く時期だ。ドファンが丹精込めて作り上げたもので、メイミーたちからも愛されていた。
「………………エティエル、すまないがその机の三番目の引き出しを開けてくれないか」
「はい」
「そこに私の意匠をいれた小さな箱があるはずだ。それを持ってきてくれ」
言われてエティエルが引き出しを開けると、様々な本や道具の他に、隠れるようにそれはあった。薔薇が彫られた小さな箱。
「すまないがライナス、少しの間、部屋の外で待っていてくれるかね」
「かしこまりました。何かご用がありましたらお呼びください」
ドファンに指示され、執事は足音もなく一礼して部屋から出た。
「……これは何でしょうか?」
もってきた物をドファンに手渡すとエティエルが訊ねる。ドファンは答えずにその箱についていた鍵をいじった。
「……私が、彼女に忠誠を誓った日」
「え?」
かちりと鍵が外れる。
「──────あれから随分と時が過ぎたな」
言いながらドファンは箱を開ける。その中にはまたもう一つ、手の平にのる鍵。ドファンの目はそれを見つめていたが、どこか遠くを見ているようにも見えた。その様が酷く薄く、エティエルは常日頃のドファンの様子からかけ離れた姿に、知らず手に力を込めた。
「エティエル」
「はい」
「これを持って、左の本棚の上から2番目の左端にある本を引き抜いてくれるか」
「はい」
何をするつもりなのか分からなかったが、エティエルは言葉に従った。左端の本を引き抜く。なかなか厚みのある本だ。
「そうしたらその奥を見てくれるか。鍵穴があるはずだ」
本を所望しているのかと思えば違うらしい。本を引き抜いた奥を見ると、確かに鍵穴が見えた。
「その鍵をそこに入れてまわしてくれ」
少し狭いので、隣にあった本を数冊どけた。それからエティエルは鍵を差し込む。ゆっくり回せば小気味よい音をたてて、鍵が開いた事を示した。
「少し重いかもしれないが、その本棚をずらしてみてくれ。後ろにもう一つ本棚が出てくるから」
「え?」
「ははは、壁に埋め込むようにな、こっそり作った」
「こっそりって……」
「いや、メイミー殿にはちゃんと断ったぞ。彼女以外は作ってくれた者しか知らないがな」
取り合えず本棚を動かしてみた。外観からは分からないように、どうやら車輪が組み込まれているらしい。確かに重かったが、女性のエティエルの力でも十分動かせた。そして出てきたのは、言ったとおりの本棚だった。しかしそこに収められているのは本ではないようだ。
「……あの、もしかしてここにあるものは……日記ですか?」
「そのとおり。お前も知っているだろう?子供たちの成長を綴った日記だよ」
ドファンは結婚していない。だからこの場合、子供とはメイミーたちの子供の事を指している。つまりはバイアードやローザのことだ。
「……これが、噂の」
その量にエティエルは呆気になる。本棚はエティエルの身の丈よりも小さなものだったが、それにぎっしりとつまっていた。以前、その日記の内容は『生まれた日から成人までを綴った』と言っていたので、それを毎日欠かさず書いていれば確かにかなりの量になるだろうけれども、それにしても半端がなかった。
バイアードも娘リーザの成長日記をつけているし、それが結構な量だけれど、ドファンの物には及びもつかない。……一日書くページ数が多いと言うことだろうか。
「すごい、ですね……」
苦笑する。それしかでてこない。
「書き出すとどうにも止まらなくて、気がつけばそんな量になった」
ドファンはあっけらかんと笑う。エティエルは苦笑で返すしか出来なかった。
「深緑の外装のものがバイアードだ。茶に金縁がローザ。赤はリーザだな。……バイアードのを、一冊取ってくれるか」
どれ、とも指定されなかったのでエティエルは一番上の棚の右端の物を取った。そしてそれを持ってドファンの傍の椅子へ座る。
「読んでみたまえ」
「宜しいのですか?」
「ああ、バイアードは嫌がるだろうけれどな。まぁ、伴侶のお前が読むのだからいいだろう」
それでも嫌がるのではないかと思いつつ、自分が知らないバイアードのことも少し読んでみたいと思ったので、心の中でバイアードに謝りながらエティエルはそっと日記を開いた。
それはバイアードが産まれ日から始まっているものだった。
「……懐かしいな。メイミー殿がバイアードを産んだ時、私は身が震えるほど感動した。女性の、母親の強さというものを見たからね。私とあやつは何もできなくてウロウロしているだけだったと言うのに。産まれたバイアードは産湯に浸かったと言うのに真っ赤でしわくちゃでまさに猿のようだった」
「まぁ」
「……だがな、赤子は魔族も人間も変わりなく産まれてくる。そんな当たり前の事を、私はその時初めて自覚した。それまでも私はメイミー殿に仕えてきたが、どこかで、彼らとは違う、相容れないものだと思っていた。事実そうなのだ。どんな種族も完全に分かり合えるものではないし、違う存在だ。けれど、歩み寄ることはできるし、慈しむこともできる。……バイアードの誕生は、私に色々なものを与えてくれた」
だから書き始めたのだと言う。その内容は赤子のその日の様子が書いてあった。嗜好や状態、かかった病気など、乳母やメイドに聞いたことも書いており、分かりやすく、ある意味子供を育てるための参考書にもなりそうだった。
後半からはドファンの想いが色々綴られていた。前半を見た限り、あまりドファンらしくないな、と感じていたエティエルだが、後半の少々飾り立てた文章を読んで、ほっとした。
「………………」
どのページを開いても、それは変わらなかった。バイアードの成長が嬉しいと言う気持ち。軽やかに走る文字がそれを物語っている。
まだ子供の頃、逃げるバイアードと追いかけるドファンの姿を良く見た。捕まえて叱って、抱き上げて、笑いあう。ある意味実の親子のようにも見えた。バイアードの父親は真面目で忙しい人だった。それでも時間の許す限りバイアードに愛情を注いでいた。だが、そういう場面を見るのはドファンの方が多かった。
けれどドファンは家族のように親しくはしていたが、けして『父親』がなすべき位置には立たなかった。大人として、保護者として過ちを正し叱り、抱きしめることはあれど、大事な時はすべて彼の父親に任せた。それはローザの時もそうだった。ドファンは溺愛したが、それでも一歩引いた位置に立ったままだった。
「エティエル」
「はい」
「この鍵をお前にやろう」
「え?」
返していた本棚の鍵は箱に再び収められていた。その箱を、ドファンは撫ぜながら言う。
「私が死んでから、になるから、まぁ、形見になるかな。場所は先ほどと同じところに入れておくから」
「そんな、ドファン殿」
『死』と言う言葉をあっさりと言うドファンにエティエルは眉を寄せる。しかしそれを片手を挙げて制した。
「私は死ぬよ。生き物である以上それは避けられない。それがお前たちより早いだけだ。お前たちとこれ以上一緒にいることができないのは寂しいが、私は生きた。生き抜いている。十分、満足しているのだよ」
「………………」
「後悔、と言えば、私が守れなかった民たちのことだ。私は魔王の娘に破れ、国を守ることができなかった。その後、トータスブルグは魔王の息子の物となり、民たちは隣国へ逃げるしかなかった。私は、今度は何があろうと民を守ると誓った。……それで私の過去が消えるわけではない。だが、いつまでもそれを引きずって悔やんで過去ばかり見ていたら、今の民たちにも、トータスブルグの民たちにも失礼だろうな。だが、忘れはしない。忘れてはならない。……私は、あの時、ある意味、魔王の娘に倒されて良かったのかもしれないな」
「ドファン殿……」
「あくまでも、私自身は、だがな。後悔と満足、両方抱えて私は死ぬよ。矛盾しているがね」
笑うと皺が深くなる。ドファンは老いた。それは、事実だ。
「しかし、そうだな、せめて今年の薔薇を見て、年が明けてからにしたいかな。おや、まだ結構あるな。これは頑張らねば」
指折り数えて、言ってから気がついたようにドファンはおどけて言う。エティエルも笑った。
「エティエル、あの日記をどうするかはお前の好きにしていい。バイアードに見せてからかうも良し、秘密にするも良し、そのまま処分するも良し。ああ、でもローザの夫にも教えておくから、ローザの日記はあやつに任せなさい」
「はい。……でも、本当に宜しいのですか?」
「いいさ。まさか墓にまで一緒に持っていくわけには行かぬだろう?そうしたら私は土に埋もれるより先に本に埋もれてしまう。息苦しいことこの上ないな。まるで溺れるようだ。それに溺れるなら女性の涙の海がいいな。ああ、しかし、美しい女性を悲しませてしまうのは辛いものがあるな……」
本人はいたって真剣に言っている。歳を取ってもそれはかわりがない。
「……さて、言うことも言ったから、少し眠るとしようか」
「はい、そうですね。日記も戻しておきます。……教えていただいて有難うございました」
「いや、後始末を押し付けているようなものさ。私としては大事に取っておきたいが、ずっと持っていることができないからな」
「………………。……夕食時になりましたら、一度参りますね」
「ああ、頼む。まぁ、何かあったらライナスを呼ぶから大丈夫だよ」
「はい、それではおやすみなさいませ」
「おやすみ、エティエル」
ドファンは目を閉じ、エティエルは扉を閉めた。
結局次の年ものり越えてしばらく余生を過ごします。
ドファンは結構人生楽しんで生きて終わりそうだと思います。
愛邪でがっつりやられたので、それから人間的に成長したかと思いますが、根本的な、どこか楽観的なところは変わっていなさそうでもある。しかし本人はいたって真剣。
恋に愛に命をかける?でも
愛を囁く女性を選んだり(ピンキー)
男性と女性を間違ってがっかりしたり(アナベル)、案外露骨でもあるので、命はかけないかもしれない。でも歳を経ていくと家族や周りの親しい人、民達、そして騎士道精神に誇りをかけて守ろうと頑張るんじゃないかと思います。命をかけるというか、『ここは私に任せて!』的なことをしそうだけれど、その後、意外な運の強さというかしぶとさで生き抜きそうな気がします。
この歳になっても女性を見れば愛を囁きローザやリーザや果ては人妻メイミーやエティエルにも『私の可愛い小鳥達』という。バイアードさむいぼ。女性陣は慣れたもので笑って流す。
しかしアルが一度だけ小さい頃にあった設定にしているけど、そのときはもうドファン100歳超えてるんじゃないか?……ちょっと夢見すぎな設定?
いやドファンならきっとやってくれる!!すみません、暴走はまだまだ続くよ!