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サトーの子供時代の話その3。
しかし未だサトーは出てこないと言う事実。

 心休まる日はなかった。それでも安住の地を求めるように逃げた。逃げて逃げて。


 そして、失った。


 手を取り共にそれぞれの郷を抜け出した大切な者。誰より何より愛しい者を失ったのだ。不幸な出来事だった。何もできなかった。忍びの者であった彼女でも、病には勝てなかった。病み衰えていく体を抱えながらそれでも逃げていたけれど、立ち上がることすらできなくなったとき彼女の体は恐ろしく軽かった。そして最期に己に言ったのだ。


 ──────生きて、と。


 はかなく微笑むその顔を鮮明に思い出す。黒髪の女だった。意志の強そうなつり上がった眼。それが最期に見せたのは例えようもなく寂しげだった。けれどそれでも彼女は笑っていた。最期に見せる自分の顔が、苦しみや悲しみでなく、己に残す自分は笑顔であるようにと。
 そして静かに逝った。
 だから己は生きている。約束を違えぬように。

 本当は、そのまま死んでしまいたかった。
 でも死ねなかった。死ぬことは許されなかった。己で命を絶つなど、どの面を下げて彼岸の先で彼女に会えるというのか。しかしそれでも死にたかった。だが死ねない。死ねないのだ。生きて生きて生き抜いて、そうしてどこかで静かに生を終えたとき、ようやく己は彼女に会えるのだ。
 死ねない理由がる。守らなければならないモノがある。だからこそ、生きる。






 迫りくる僧は死を伴ってやってくる。それは旅人にとって甘美な魅力を秘めており、また同時に背筋も凍る恐ろしいものでもあった。今の旅人にとっては誘惑の秤は軽い。生への執着が重い。そのために走る。雑木林を抜け、ただひた走る。月明かりが酷く邪魔だった。

 「!!!」

 しゃん、と重なり濁る金属の音。わざと自分の存在を知らしめるかのような音に旅人は息を飲む。次に視界の端に月明かりをはじく錫丈を見て取った。来た。予想より早い。
 さすがと言うべきか昔であれば賞賛にため息すらつきそうだったが今は恨めしく思うだけだ。旅人は内心舌打ちをしてそれでも走る。風を切る。先へ先へ。大地の色の眼は前方を捉えるのみ。肌は背後に迫る僧の気配を感じ取る。小太刀を構える。逃げ切ってみせる。奥歯を噛み鳴らし、旅人は駆けた。疾駆する。腕を伝っていた血はうっすらと乾いてきていた。
 咆哮。獣のそれに似た声が旅人の背後から上がり、風を切り裂く音が同時に迫る。咄嗟に体をひねり旅人は己の背を狙った錫丈をかわす。その余分な動作の隙に、背後にいた僧が距離を縮め、追いついてきた。がつ、と捕らえる獲物を失った錫丈が地面に突き刺さる。即座に迫った刃を旅人は小太刀ではじいた。
 「………………法師……ッ!!!」
 飛び退る。地面に突き立った錫丈は僧の手の中へ。片手に錫丈、もう片手には短刀が握られていた。僧は返事をせず逃げる旅人に襲い掛かる。振りかざされるたび、打ち付けられるたび、鳴り響く錫丈。災厄を退けるために使うそれは今、旅人を災厄とするかの如く月明かりをはじいた。

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