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サトーの子供時代の話。




 闇に走る影二つ。




 空は雲ひとつ無い星空だった。月が辺りを照らす。青白く明るく、明かりを嫌う者であればその月を厭うほどの。
 影は一度重なると甲高い音を立てて離れた。一人は錫杖、一人は刀を構えている。修行僧のような出で立ちと、ただの旅人のような凡庸な着物。けれど双方は、お互いを見知っていた。
 「大人しく縛に付け。さすれば、命の保障はしてやろう」
 僧が低く告げる。月明かりがあるとは言え、この夜の刻、笠を被ったまま。陰に隠れた眼光すら見えない。
 「説教をする立場の貴方が嘘をついてもいいのか。一度郷を離反した者は誰であろうと例外なく死あるのみだと」
 旅人は刀、いや小太刀を逆手に持ち、前に構える。
 「……この戦乱の時代、情報が状況を左右する。お主の腕は僧正様も認めていたと聞いていたが、まさかこのようなことになるとはな」
 「私の他にも腕の立つ者はいくらといるだろう。高だか若輩の僧など捨て置いてはくれないか」
 僧は顔を笠に隠したまま淡々としゃべる。対して旅人は警戒を解かず、苦笑めいたものを浮かばせながら問い掛けた。
 「本気で言っているのか?」
 「本気で言えば、見逃してくれるか」
 「笑えん冗談だ」
 そして再び構えた。
 「……娘はどうした」
 僧からの問い掛けに、旅人は僅かに眉をしかめた。
 「……さてな」
 答えは簡潔で、旅人の表情には憂いがあった。
 「……お主には、聞きたいこともある。だが、抵抗するならば掟に従えと言われている。何も言わず、弁明もせず、ここで果てたいと言うならば手助けをしてやろう」
 「いらん世話だ」
 実力で言うならば、旅人は僧には及ばなかった。けれども、ここで捕まるわけにも、死ぬわけにもいかなかった。






 「この戦は、いつまで続くんだろうか」
 ぼうとした顔で呟かれた言葉。季節は秋。野山が紅葉に染まり更に夕日の明かりが炎の如くそれらを照らし燃えている。
 周囲の野山より更に高い位置にあるこの寺で、二人の男が夕暮れ迫る秋の山を見ていた。
 「……鎖国してはや500年、か。こんな小さな島でよくまぁ飽きもせず500年も国取り合戦を続けているものだな」
 「まるで他人事のように言う」
 「我らはどこにも属さんからな。月組と縁は深いが加勢する立場にはおらん」
 「……ならば、ムロマチには?」
 「そちらも同様だろう。それに、あそこはたかが我らが加勢したところで変わりはせん。今や最大勢力になりおおせているからな」
 「………………」
 「されど、どちらかに与することは僧正様の意思には無い。我らは我らの教えを貫けばいい」
 「………………」
 年若い男は、やはり黙ってぼうと山を眺めていた。
 赤い山は、とても戦が各地で起こっているとは思えぬほどに静かだ。けれど、その存在は圧倒するほどに激しい。
 「……どちらかを選ばねばならんとしたら、どうなるのだろう」
 「どちらも選ばぬだろう」
 「どちらか選べと言われ、それでも選ばぬと、貴方は言うのか」
 「そうだ」
 何の感情も表れぬその声に、男は小さく落胆を覚え、憎しみにも似た羨望を感じる。
 「………………貴方は、強いのだな」
 「いいや」
 返ってきた言葉は意外なものだった。男は改めて相手の顔を見上げた。
 「強くも無ければ弱くも無い。ただ、そうあるだけだ」
 「………………」
 「何を懸念しているのかは知らぬが……ああ、そうか、確かお主は月組に好いた者がいたと聞いたな」
 「……それは、関係ない」
 不意の切り替えしで、男が慌てるかと思ったが、男は感情を消した表情になってうつむいた。
 「では、何を悩んでいる」
 「……いや、もう、いい」
 「──────?」
 男は立ち上がり、寺へと戻った。
 そして幾つか過ぎたとある日。
 男の離反が知らされた。




 暗い森の中だ。鬱陶しいほどまでに明るい月の光すら届かない深い闇の中だ。ここに紛れてしまえば逃げ切れる。常の彼ならそうだった。
 けれど。
 「………………っ」
 べたり、と木の幹に手の平のあとがつく。闇色に溶ける幹を更に色濃く沈み込ませる黒色。男の歩く跡は草に埋もれて見えないが、所々に幹と同じく沈み込む黒色が転々と散っていた。
 呼吸は荒く、心臓は跳ね上がり、体は鉛のように重い。目はかすみ、喉は切れたように痛み、足は引きずるほど動かなかった。渋めも衣服さえ黒く染まり、肌がでてるところには蛇が這うような跡が見て取れた。それでも男は進んだ。胸元を庇うように、前へ前へ。
 進む男の足がとられた。何かに躓いたらしい。膝をがくりと落とし、それでも倒れこみはしなかったが、男は木に寄りかかってしまった。
 夜の外気に冷やされた木の肌。荒く、ごつごつとした幹だ。無性に親しさに襲われる。幼い頃は、よくこんな木の上で遊んだ。疲れたら木の枝で眠り、腹が減れば実をもいで食べた。
 「………………」
 このまま。
 このまま動かず死んだように、まるで木の一部のように草葉に沈み紛れてしまえば、逃れられるのではないか。そうだ。そうしよう。もう足も動かない。傷も負いすぎた。瞼が重い。眠いのだ。このまま、寝て、しまえば。
 ひやりとした風が通り過ぎる。懐が動いた。
 「──────」
 駄目だ。
 根を下ろしかけた体を引き剥がす。
 常の状態ならともかく、こんな血の匂いを撒き散らしたままでは、身を潜めていようと見つかる。ここまでくるにもいったいどれだけの跡を残してきた。
どこかで血を洗い流さなければ。できるなら手当ても。止血するための布ならば荷物を包んだ風呂敷なり上着なりで代用が利く。だから目指すは水場。川。そして隠れる場所。
 あれこれ考える力があるならば動かなければ。止めてしまえばそれで終わりだ。できることがあるならばやらなければ。諦めるのは全部やり終えてからでも遅くない。
 自分は何のために、故郷を裏切った。
 痛みの走る全身を叱咤して立ち上がる。確か近くに川があったはずだ。そこまで行くのだ。
 再び男は動き出す。前へ前へ。

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