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前回の続きなので乱太郎たちが三年生のときです。
今回は滝夜叉丸と三木ヱ門と綾部が出てきます。タカ丸もちょこっと。
彼らは今、六年生です。最上級生。
一人称があやふやですみません。
ところで私は滝夜叉丸の髪はなぜか黒のイメージがあります。

取り合えず途中まで。また後で書きに来ます。


27日追記。



 六年生の長屋の近くにある井戸の側から、水を被る音が聞こえた。
 季節は春。刻は夜。まだ空気は冷たい。
 けれども、何度も何度も、その水音は聞こえた。水桶を井戸の中へと落とす。からからと滑車の音。少し間を置いてから先ほどとは違う、よどみなく回るけれど重さの感じる滑車の音。

 がら、ぎし、がら、ぎし。

 汲み上がった水桶を掴む人影は、それを勢いよく頭から被った。水は全身を濡らし、石畳を流れ、土へ滲みてゆく。衣服は鍛えた体に張り付き、長い髪は闇をはらんで黒く、肌を流れている。人影は水とわずかに吹く風に体を冷やされていながらもそれを意に介した風はなく、同じ動作で再び水桶を井戸へと落とした。

 からからからから。
 がら、きし、がら、きし。

 ざばぁ。

 「おやまぁ」
 呆れた声が背後から耳を打つ。人影は驚く様子も見せずに振り返った。
 「喜八郎」
 「あんまり水ばっかり被っていたら、風邪引くよ。滝夜叉丸」
 六年い組の綾部喜八郎は持っていた、よく乾いた手ぬぐいを人影に差し出す。人影、平滝夜叉丸は表情を変えずにそれを受け取った。
 「あ、でも滝夜叉だったら引かないか」
 「それはどういう意味だ喜八郎」
 「さぁ」
 相変わらず人を食ったような声だ、と内心思いながら、滝夜叉丸は濡れた顔を拭く。
 「そんなに水を被りたいのなら川に行きなよ。水が勿体無いじゃない。それこそ君の名前と同じ場所に行けばいやになるくらい被れるよ」
 「あのな……」
 髪をいささか乱暴に拭き、手櫛で整える。普段なら指に絡まりもせず流れるが、今日は少し引っ掛かる。鼻頭に皺を寄せた。
 「それで、頭は冷えた?」
 「………………」
 全身、厭になるくらい冷えている。おそらく他者が触れればぎょっとするだろう。けれども滝夜叉丸はそんな冷えをほとんど感じていなかった。暗がりの中で肌は不気味なほど青白いと言うのに、体の中は飽和するような熱を抱えている気分だった。
 気分が高揚しているせいだろう。
 ぞわぞわと落ち着かない、競り上がるような熱が未だ全身を支配している。けれどもここへ戻ってきたよりは幾分か治まった。平常な顔で同級生と会話が出来る。
 「…………三木ヱ門はどうした」
 「三木ならあっちの焚き火の前にいるよ」
 長屋の角の向こうを指差す。ほの明るい光がちらちらと揺れていた。
 「焚き火の前って……大丈夫なのか?」
 「うん。何だかね、炎の前にいると、逆に落ち着こうと無理矢理構えるからいいみたい。ぶつぶつ何か言ってるよ」
 「……それは本当にいいのか」
 その様子を思い浮かべて、げんなりと肩を落とした。
 「滝夜叉もあたってくれば。寒さなんて感じてないだろうけど、実際、体は冷えてるんだから。お風呂でもいいけど、行くんなら三木も連れてってあげてよ」
 「お前は?」
 「僕はもう入ってきた。あんなに汚れていたままでいるのは、耐えられないし」
 「そうか」
 答えて空を見上げる。月のない暗い昏い夜だ。
 「僕、先に行くよ」
 「ああ。────そう言えば、タカ丸さんはどうした」
 年上の同級生を思い出す。先ほどから姿が見えない。
 「タカ丸さんはとっくの昔に長屋に戻ったよ。あの人、結構図太いでしょ」
 「……そうだな。図太いと言うか、鈍いと言うか」
 この学園に途中編入して、今年でまだ二年のはずだと言うのに、長くこの学園にいる自分たちより、順応が早かった。技術や知識では劣るものの、斉藤タカ丸は精神面において、年下の同級生よりも強靭な反応を見せた。
 「それでも多分、今日は寝れないだろうけど」
 「ああ」
 意識が霞みがかったようにぼんやりしているけれど、どこか奇妙に冴え冴えとしている。体は重いのに眠くない。会話しているはずなのに声が遠くに聞こえる気がする。
 「……おい、喜八郎。部屋はそっちじゃないだろう」
 ふらりと滝夜叉丸の前から去ろうとする喜八郎を呼び止める。けれど喜八郎は振り返らずに手をひらりと振った。
 「もっと落ち着くところにいくから、滝夜叉、一人でごろごろしてていいよ」
 「………………そうか」
 それではせっかく風呂に入って綺麗にしたというのに意味がないだろうと思いながら後ろ姿を見送った。
 「………………」
 弱い風が頬を撫ぜる。やはり寒くない。だが、その感覚はおかしいのだと自覚はしているので、滝夜叉丸はもう一人の同級生の下へ足を運んだ。



 「………………………………」
 ぱちぱちと火の爆ぜる音がし、火の粉が風に煽られて踊っている。その焚き火をじっと見つめながら田村三木ヱ門は、膝を抱えてしゃがみ込みながら、外野が聞き取れぬような言葉を口の中でつむいでいた。
 火の熱さが、先ほどまでいた場所を思い出させる。ともすれば、意識がそちらへ持って行かれそうになるのだが、それは間違っていると強く理性が働きかけ、現実へと引き戻していた。一人で暗いところにいる方が、飲み込まれそうになり危うい。
 「……三木」
 「………………」
 「……おい、三木。三木ヱ門」
 火に照らされた三木ヱ門の後ろ姿に滝夜叉丸は声をかける。案の定、反応はない。ため息を一つつき、わざとらしく足音を立て、ぶつぶつと呟く三木ヱ門の体を、横から蹴り倒した。
 「うおあっ?!」
 「一人で何をぶつぶつぶつぶつ言っておるんだ。お前は」
 「……っ、滝夜叉丸!!いきなり何をする!!」
 「ふん、陰気でじめじめと蹲っている愚か者を蹴り倒したんだ。何か悪いことでもあるか?」
 「あるわ!!誰が陰気でじめじめだ、お前なんて濡れ鼠じゃないか!!」
 「水も滴るいい男と言え!埃と硝煙だらけのお前がこの私を罵るなどお門違いもいいところだ!」
 「何だと?!」
 先ほどまでお互い一人でいたときとはがらりと雰囲気が変わる。一種の儀式と言うか、気付けのようなものだった。日常で繰り返される、飽きることのない喧嘩。それは非現実的にも思えるぬかるむような現実から、日のあたる当たり前の日常へ引き戻すような行為だった。
 「まったく、そんな状態でいつまでもいるなど私には到底考えられない。さっさと風呂へ行くぞ」
 「何でお前と!」
 「私も御免被りたいところだが、今時分、風呂を長々と使っていては他の者に迷惑がかかるだろう。風呂が必要なのは私たちだけではないからな」
 「………………」
 さらりと言った言葉に三木ヱ門はぴたりと声を止める。
 「私は心が海原よりも広いからな。汚れまみれで不潔なお前と、しょうがないから共に風呂を使ってやろう」
 「いちいち一言多いなお前は!!だいたい────」
 ざ、と風で木々の葉が鳴りざわめいた。
 「──────っ!!!」
 滝夜叉丸は目を見開き、まだ隠し持っていた愛用の戦輪を構え、振り返る。
 暗闇の中から、ざくざくと、誰かが歩く足音が近づいてくる。本当にごく自然に、まるで散歩をしているかのような気軽な足音だ。だが、滝夜叉丸はその足音に冷や汗を流し、息を詰める。今まで側にいた三木ヱ門は滝夜叉丸から離れ、身を低くし、同じように闇を睨みつけるように構えていた。毛を逆立てる獣のように、殺気があふれ出す。
 「──────ああ、君たちか」
 焚き火の光が届かない闇の中から現れた人物は、その足音と同じように軽快な声を二人にかけた。




 「あれぇ、綾部君、何してるの、こんな夜更けに」
 夜の寒さに首をすくませ、渡り廊下をつま先で歩いていた斉藤タカ丸が、六年長屋の離れで穴を掘っている喜八郎を見かけて声をかけた。
 寝巻き姿のままでざくざくと塹壕掘りをしていた喜八郎は、首だけが地上に見えている状態でタカ丸を見上げる。
 「寝床を作っているんです」
 「寝床?部屋で寝ればいいじゃない」
 「いえ、部屋では寝れない気がして」
 「ふぅん」
 短い答えに、タカ丸もうなずいただけでやめた。理由は分かるからだ。でもそれで、何で塹壕なんだろう、とは思ったけれども口には出さなかった。
 「そういうタカ丸さんはどうしたんですか。先に部屋に戻ったはずですが」
 「厠に行ってきたの。春でも夜は冷えるねぇ。綾部君、そこで寝て風邪ひかないようにね。あっ、何か包まるもの持ってこようか?」
 「いえ、いいです。穴の中って結構快適なんですよ」
 あいにくと塹壕の中で過ごすことは滅多にないのでその気持ちは分からない。けれど、喜八郎が言うならそうなのだろうと、タカ丸は笑った。
 その時、
 「──────」
 喜八郎が不意に動きを止める。普段から表情が変わらない彼だが、ぴくりとも動かないとまるで人形のようだ。怪訝に首をかしげたタカ丸が、声をかけようと身を乗り出した時、彼自身もまた、風に乗って伝わってきた気配にぞくりと身を硬くする。
 「なっ──────」
 首を巡らせる。治まって、いや、何とか鎮めていた感情を根っこから揺さぶられるような気配だ。忍術学園と言う場所に戻ってきてようやく気を緩めることが出来ていたので、その気配はするりと入り込んできた。気持ちが悪い。
 喜八郎は穴の中から這い出て、一点のみに視線を向ける。先ほど、自分が立ち去った場所に。





 「………………り、きち、さん」
 瞬きもせず滝夜叉丸は相手の名前を呼んだ。
 「こんばんは。いい夜だね」
 名を呼ばれた相手は、夜の散歩途中で知り合いに出会ったかのような口ぶりでにこやかに言う。それは、何度も見かけた利吉の姿だった。それほど親しいわけではないが、全く話したことがないわけでもない。情報だけならば厭と言うほど耳にする。
 忍術学園の三年は組の実技担当、山田伝蔵の一人息子で火縄銃の名手の忍者。どこの城にも仕えず単独でありながら名前の知れ渡るほどの腕の持ち主。忍術学園きっての名物三人組によく振り回され怒っている姿を昔はよく見かけたものだ。けれど。
 誰だ、この人。
 見知った笑顔のはずなのにまるで知らない人物のようだった。
 「君たちはこんなところでどうしたんだ?──────ああ、六年生は今日は実習だったのか。お疲れ様」
 言われる声も耳に知った声だ。けれど酷く違和感を覚えてならなかった。滝夜叉丸は戦輪を構えたまま答えない。顔を青白く染め、歯を食い縛る。離れた場所にいる三木ヱ門は低く唸っていた。
 この人はこんな雰囲気を纏う人だっただろうか。同じ思いが胸中に浮かぶ。ここしばらくは以前のように見かけることも、あの三人と一緒にいることもなかったけれど、二人の知る利吉は、今目の前にいる人物と大きくかけ離れていることは確かだった。
 こんな、隠そうともしない、薄ら寒い殺気の。
 「いい夜だよな。月はないし、雲のおかげで星も少ない。風は……少し出てきたか」
 視線を空に向け、明日の天気でも話すように利吉は続ける。
 「でも、忍びの仕事をするにはうってつけの夜だ」
 そう呟かれた時、滝夜叉丸と三木ヱ門はさらに硬く身構えた。利吉は空を見上げたままこちらを見ない。けれど、身に迫るような圧迫が、増した。
 「なぁ」
 ぞ、と切られるような寒気が全身を包む。
 「今日はどれだけの戦野を見てきた?」
 「………………っ!」
 胃の中から何かがせり上がってくるようだった。ひたりと視線を向けられ、そらすことも出来ない。呼吸が乱れる。夜にさえかすかにうつる足元の影が縫いつけられたようだ。
 「君たちの年ならもう何度も経験しているだろう。この辺りから高揚する気配が垂れ流しになっていて落ち着かないね。子供らもその手の気配には敏感だから、今夜は誰も外に出ていない。いけないよ。そろそろそういうものは隠すようにしないと」
 今まさに自分たちを圧倒する気配を隠しもしていないのは誰だと言いたくなる。
 利吉は滝夜叉丸の方へ踏み出した。ぎくりとする。手が伸ばされる。利吉は相変わらずにこやかな笑顔のままだ。
 「……でないと、本当に世に出たらすぐに、取られるよ」
 「──────」
 命を。
 「うぉああああああああぁああっ!!!」
 「っ!!!」
 首に伸ばされかけた手が一瞬で消えた。かわりに長い真っ直ぐな髪が舞い、硝煙の匂いが鼻を掠めた。
 「おっと」
 軽妙な動きで、利吉は襲い掛かってきた一撃をかわした。
 「三木ヱ門!」
 滝夜叉丸の前で地面に片手をつき、獣さながらに唸るのは三木ヱ門だった。
 「──なるほど、田村君の方がまだ切り替えが浅かったのか。いい目に戻っている」
 言われてはっとする。後ろ姿で表情は見えないが、その気配は敵と対峙する時と同じだった。滝夜叉丸は大分心落ち着かせていたせいか、利吉の遠慮のない気配に対し、無防備なところがあった。内心混乱していることは隠し切れなかった。
 「大丈夫、何もしはしないよ、田村君。ただちょっと君たちの気配が気に障ってね」
 「な────」
 利吉が、にい、と口を歪めて笑う。三日月のような口元。
 「そんな状態で、こちらに、出てくるな」
 「──────」
 離れていると言うのに首筋に刃を突きつけられたようだった。
 「その程度のことで平静を保てないのは未だ覚悟がたりないからだ。……もっともここにいたらそうならざるをえないが、な」
 「……どういう、意味、ですか」
 「分からないなら分からなくていい。でもね、覚悟しておいで。こちらは君たちが考えているより遥かに暗い。それこそ、自分たちにすべを教えた人たちを恨むほどにね」
 「………………」
 「弱い者は、死ぬだけだ」
 暗い昏い闇の底のような笑顔。
 「────だったら!!」
 突如、三木ヱ門が声を張り上げた。
 「だったら、あんたは覚悟ができていたと言うのか!偉そうに能書きを垂れるほど忍びとしてできているとでも言うのか!!」
 得体の知れないものを目の前にしたときのような心の震えを押さえ込み、気圧されぬよう拳を握る。
 「全てを見てきたかのような講釈垂れるほど、あんたは────!」
 「三木ヱ門!!」
 滝夜叉丸の声が聞こえたのは、三木ヱ門の体が地面に叩き付けられてからだった。
 遠慮のない拳が頬をとらえ、歯を食い縛る暇もなく三木ヱ門は殴られた。滝夜叉丸は一瞬遅れて飛び退る。
 「未熟な自分を正当化しようとするよりはよっぽどできているよ。……何も知らずただ自分の気持ちを優先するだけの餓鬼どもよりは、ずっとね」
 「………………」
 「それじゃあ、ね。よい夢を」
 「………………っ」
 地面に伏したまま動けない三木ヱ門の頭をゆっくりと撫でて、利吉は殊更のんびりとした足取りで、その場から去った。
 「──────………………」
 どさ、と滝夜叉丸が膝を付き、腰を落とした。立っていられなかった。呆然と視線を投げ出している。
 「滝夜叉丸、三木ヱ門!」
 その声に滝夜叉丸は一瞬びくりと肩を震わせ、現れた学友に、焦燥した顔を向ける。
 「……喜八郎」
 だが、声は意外とはっきりとしていた。
 「何。誰か、いたね」
 後からついてきたタカ丸が二人の前方を見た。
 「………………利吉、さんが」
 地面についている手が僅かに震えていた。喜八郎は気づかぬ振りをして滝夜叉丸の背中に手を添えて立たせた。
 「……利吉さん?……さっきの気配が?」
 「ああ……」
 離れてあの気配を感じていた喜八郎にはにわかに信じがたかった。実際に目の前にしていた滝夜叉丸たちでさえ、疑うほどだったのだから、当然かもしれなかった。
 「田村君、大丈夫?……うわ、酷いなぁ……」
 倒れていた三木ヱ門をタカ丸が助け起こす。幸い歯は折れなかったようだが、口の中を盛大に切ってしまったらしく、血が流れていた。
 「う……」
 「あ、ごめん、痛かった?」
 顔を歪めた三木ヱ門にタカ丸が謝る。しかし三木ヱ門は首を振り、それから、べっ、と口の中にたまった血を吐き出した。うつむき、歯を食い縛る。
 「………………ちく、しょう……」
 「………………」
 喉の奥から絞り出すような声に答えた声はなかった。







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利吉さんの八つ当たり。

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